ひ〜ちゃん in ブレッチリー
はいはいっ! アラン・チューリングですか!?
By Elliott & Fry - https://www.computerhistory.org/timeline/1949/, Public Domain, Link
あれーっ? 違っちゃったかぁ
というわけで、本記事では、コンピュータサイエンスに偉大な功績を残したアラン・チューリングが第二次世界大戦中に暗号解読に取り組んだ場所として知られる、イギリスのブレッチリーをひ〜ちゃんと訪れたときの写真をまとめます。
ひ〜ちゃん in ロンドン の4日目に当たる記事なので、そちらも合わせてご覧ください。
ユーストン駅
ロンドンの主要駅の一つであり、ここから West Midlands Railway で40分ほど北上した場所にブレッチリーがある。 チャリング・クロス駅やキングス・クロス駅などの他の主要駅と比較するとずいぶん近代的な外観で、巨大なモニターが印象的だった。 調べてみると、1960年代に伝統的な駅舎を取り壊して再建された現在の姿は「黒ずんだ灰色の水平の無」として酷評されていた。
ブレッチリー駅
我が家にも Home of the Codebreakers のような看板を掲げたい。
乗ってきた鉄道をイギリスの撮り鉄少年3人組に混じって撮影。
駅舎はシンプルなものの、ホームには多数の花壇があり温かみを感じた。
1960年頃までは Varsity Line という鉄道路線がオックスフォードとケンブリッジを結んでおり、ブレッチリーはちょうどその中間に位置するため、賢い人が集まるのに最適な立地だったらしい。
いまも残っていれば観光しやすいのに・・・🤖
ブレッチリー・パーク
駅から徒歩数分の距離にブレッチリー・パークと呼ばれる場所があり、ここで第二次世界大戦中に暗号解読が行われていた。 現在は博物館として開かれており、当時の施設を利用して戦時中の取り組みが展示されている。
木で遮られた先には、東京ドーム5個分(58 acre)の広大な敷地が広がり、池、立派な邸宅、複数の煉瓦造りの建物(Block)や木造の小屋(Hut)が並んでいる。 入口のマップが分かりやすい。
Block C
チケットを買って最初に入るのが Block C で、ブレッチリー・パーク全体の導入的な展示がされている。 暗号解読のステップごとに体験型の展示もあり、ヘッドホンを装着してラジオシグナルを傍受したり、インタラクティブなスクリーン上でエニグマの暗号化の仕組みを確認できたりする。 暗号解読のキッザニアである。
日本語の解読難しかったンゴ・・・みたいな展示が各所にあってかわいいねとなった。
Google がスポンサーになっているらしい。ありがたい。 ちなみに、「ブレッチリー・パーク」を Google 検索すると面白いギミックが見られる。
Block C を抜けると、本格的にブレッチリー・パークの敷地に足を踏み入れることができた。 自然に囲まれた環境でリフレッシュできて、暗号解読が捗りそう。
Block B
一番近くにあった Block B の建物に入ってみると、大量のエニグマが並んでいた。
これは日本とドイツの間で使われていたエニグマ。 鹵獲されすぎワロタ・・・
エニグマの後継にあたる Lorenz SZ42 も展示されていた。 12個のローターによってエニグマよりも複雑な暗号文の生成が可能で、ドイツの偉い人たちの通信に使用されていたらしい(展示の説明文にある Marshals が元帥のことで、Generals がその下の階級の大将など、High Command が国防軍最高司令部のことっぽい)。 ちなみに、Lorenz の暗号化方式は、ドイツ軍の運用担当者が鍵ストリームを使い回して類似の文章を送るヘマをきっかけに、現物を鹵獲する前に解明できていたとのこと。偉業・・・
アラン・チューリングの業績や論文をまとめたコーナーがあった。こうありたい。
日本の話 part 2。 暗号は早々に復号できたが、日本語が分かる人が少なくて苦労したっぽい。
Block A
お隣の Block A に来た。 かつては翻訳や暗号文の解析が行われていた施設である。
パンチカードが宙を舞っていた。 解読の速さが航海中の軍艦の安否を分けるため、その差し迫った様子を表現しているのかもしれない。 職員はストレスフルな状態にあったとどこかに書いてあった。
日本の話 part 3。 職員がどのように情報を分析していたのかを体験できて、スパイの気持ちになれる。 日本には多数のイトウさんがいるのが知られていてウケた。
最盛期の1945年には約9,000人が従事し、ケータリングなどブレッチリー・パークを運用していくための雇用もあったらしい。 ちょっとした街である。
Hut 8
この小屋でアラン・チューリングはエニグマの暗号解読を率いていた。 実は中に入れたらしいが、気づかずに通り過ぎてしまった・・・
Teleprinter Building
ノルマンディー上陸作戦におけるブレッチリー・パークの役割を解説する展示施設もあった。 併設されているシアターでは10分程度の動画も上映されていたが、滞在時間が限られている中で見る必要はないと思った。 プライべート・ライアンとかダンケルクとかを履修しておくと楽しめるのかもしれない。
The Mansion
1870年代に建てられ、1883年から1937年まで政治家のレオン卿一家が暮らしていた邸宅である。 家主が大規模な改築をした結果、複数の建築様式が混在しているらしい。 レオン卿一家が亡くなった後、1938年に MI6(秘密情報部)の長官がこの邸宅と敷地一帯を暗号解読の拠点として政府の代わりに自腹で購入し、これまで見てきた施設などを建て、今に至る。
こういう部屋で働きたい。
邸宅の前にはピクニックの場所も用意されていた。
ブレッチリー・ガールズのひ〜ちゃん。
Hut 11 / 11 A
かつてこの小屋では、エニグマの鍵を機械的に探索するためにアラン・チューリングが設計した Bombe が運用されていた。 現在は動く模型が展示されている。
エニグマのローターに相当する大量のドラムが回転し、鍵の候補が見つかると停止する。
文字通りのブループリントもあった。 製図がうますぎる・・・
暗号文と平文の対応関係が記載されているらしい棒。 ブレッチリー・パークで買った Bombe のガイドブックを読んだが仕組みはよく分かっていない。
インタラクティブな展示が多くて面白かった。
国立コンピューティング博物館
ブレッチリー・パークの少し先に国立コンピューティング博物館がある。 建物は Block H を利用しているので本当はここもブレッチリー・パークに含まれるはずだが、別団体により運営されていて入口が分かれている。
ここでは復元された Bombe が稼働している。 戦時中に運用されていたものは全て解体されてしまったため、戦後50年後に公開された資料や図面、僅かな当時の部品を使って再構築された。偉業・・・
初期のコンピュータとして有名な Colossus も稼働していた・・・ 前述した Lorenz による強力な暗号文を解読するために作られ、第二次世界大戦中に運用されたものである。 これも復元したらしい・・・
Colossus はスイッチとプラグで配線を組み替えることでプログラムを変更するため、現在のコンピュータアーキテクチャとは異なる。 現在のプログラム内蔵方式はアメリカで最初に設計され、それに影響を受けてイギリスで作られた EDSAC が最初に実運用されたとされる。 この博物館では EDSAC も復元しようとしていた・・・
また、復元されたものではなく、当時のハードウェアのまま稼働しているコンピュータも展示されていた。 この Harwell Dekatron は1949年に開発され、世界最古の稼働中のデジタルコンピュータとしてギネス世界記録に認定されているらしい。
他にも戦時中に開発されたマシンやレガシーなコンピュータが多数展示されていた。
老後はこういう場所でコンピュータを弄って過ごしたい。
おわりに
2〜3日は滞在したい最高の場所だった。 コンピュータオタクはブレッチリーに来い。